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宮路満英(パラ馬術)のwikiプロフィール経歴と年齢や出身高校中学!障害や結婚彼女も【東京パラリンピック】

今回は東京パラリンピックパラ馬術に出場した宮路満英選手を紹介していきます。

宮路選手は「馬をこよなく愛す片まひのアーティスト」と呼ばれ、今回2大会連続の出場となりました。

そんな宮路選手のプロフィールや経歴と年齢や出身高校、中学、障害や結婚彼女まで色々調べていきました。

早速みていきましょう。

https://paris-piano.jp/archives/2113
https://paris-piano.jp/archives/2110
https://paris-piano.jp/archives/2089

宮路満英選手が東京パラリンピック馬術に出場

https://twitter.com/nhk_2020/status/1435800144910356484

宮路選手はリオパラリンピックに続いて2大会連続パラリンピックに出場しました。前回のリオオリンピックは練習が行えず、11位と悔しい結果に終わったので、今回のパラリンピックではリベンジをはかっていました。

宮路選手が出場したのは、チャンピオンシップ課目グレード IIという個人種目と団体種目です。8月26日に行われた個人種目では7位と高順位、8位までが進める自由演技課目グレード IIに駒を進めました。個人種目では、66・824%と今大会最高スコアを出し、8位入賞を果たしました。28日に行われた団体戦でも65・485%をマークし、今大会最高スコアをここでもたたき出しました。

宮路選手は右腕をテープで胴体に固定し、馬上では左手で手綱を操作してバランスを保って演技を行います。大会終了後は「今大会が終わっても「引退」の2文字は頭にない。来年は世界選手権もある。これで終わるということはないです」とまだまだ現役を続けることをコメントしてくれていました。

目次

宮路満英選手のプロフィール・経歴・所属

・宮路 満英 (みやじ みつひで)
・1957年10月29日 うまれ
・出身 鹿児島県
・所属 セールスフォース・ドットコム

宮路選手が馬に興味を持ったのは、北海道旅行をしたことがきっかけでした。高校卒業後は職を転々としていました。23歳の時に日本中央競馬会の調教助手になり、そこからずっと調教助手をしていました。

47歳の時にトレーニングセンターで、脳卒中に倒れ、右半身まひの後遺症を抱えてからは、リハビリの一環として再び馬に乗り始めました。2011年から本格的にパラリンピック出場を目指し、練習を始めていきました。

2008年にはなんとホノルルマラソンに挑戦しており、13時間歩いて完走したこともあるといいます。また、そこで自信をつけた結果、今のパラ馬術選手としての宮路選手があるといいます。

宮路満英選手の出身中学高校大学

宮路選手の出身中学、高校、大学を紹介していきます。

中学校については残念ながら正式な公表がありませんでした。出身は鹿児島県の出水市の出身ですが、3歳の時に大阪に移動しているため、中学校は大阪の学校に通っていたのではないでしょうか。

高校は大阪市立生野工業高等学校出身です。この学校は機械科、電気科、電子機械科と学科があり、工業系の学校となっています。工業学科ならではのソーラーカーレースなどにも参加していて、技術をどんどん発信している学校です。

高校卒業後は、進学はせず就職をしています。

宮路満英選手の病気障害とは?

パラリンピックに出場する宮路選手の病気や障害について調べていきました。

宮路選手は2005年の夏、滋賀県で脳卒中で倒れました。脳卒中とは脳の血管が破れたり詰まるかすることで、脳に血液がいかなくなってしまう病気です。予兆があったり、急に症状が出てきたりと、早期に治療が必要になってきます。脳に障害が起きているため、多くの場合で後遺症が残ってしまいます。

宮路選手は倒れてから1ヶ月意識を失い、意識が回復してからは5ヶ月間入院しました。現在も後遺症があり、高次脳機能障害と右半身のまひを抱えています。宮路さんの場合、高次脳機能障害の中でも記憶に障害が大きく、演技を覚えたりするのが大変だそうです。

宮路さんは、演技の時は不自由な右手を胴体にテープで固定して演技をしています。

宮路満英選手の結婚や彼女は?

https://www.instagram.com/p/CTMwMdlFrzR/?utm_medium=copy_link

宮路選手の結婚や彼女についてはどうでしょうか。

宮路選手には結婚40年目となる裕美子さんという奥さんがいます。病気で倒れた後目を覚ますと「あんた誰や」と一時は奥さんのことを忘れてしまったといいますが、現在は夫婦二人三脚で生活しています。

また、病気の影響で演技の構成を覚えにくい宮路さんの指示役として、裕美子さんはいつも共に大会に出場しています。裕美子も一緒に馬術を学び、忘れやすい宮路さんと共に何度も何度も練習をしていくといいます。

今回は結婚40年目という節目のパラリンピックだったこともあり、裕美子さんは「夫婦で出させてもらえてありがたい」と嬉しそうにコメントしていました。

まとめ

https://www.instagram.com/p/CTCk6yfhKwz/?utm_medium=copy_link

今回は東京パラリンピックパラ馬術に出場した宮路選手を紹介していきました。前回のリオパラリンピックの悔しさを今回の東京パラリンピックでぶつけ、日本人で唯一の入賞という結果を残しました。

2005年に脳卒中で倒れるものの、新しくパラ馬術を始め、奥さんと二人三脚で挑戦して行った裏には想像できないほどの努力があるはずです。宮路選手はもちろん、共に挑戦した奥さんも本当にすごいですよね。

今回のパラリンピック後のインタビューではまだまだ続けていくようなコメントを発表していますので、今後のさらなる活躍に期待したいですね。

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